十週分のおこづかいである、1000円を払って買った、菊切手17グラム(250枚入り;小判切手も60枚近くあり)を十週間かけて整理しています。
連載はまだ九回目なのですが、途中でブログの更新をさぼってしまったので、十週間が過ぎ、たまったお小遣いを、たまたま家族旅行に行った先の大阪駅前第3ビルバザールという切手のフリマで使い入手した菊切手の書状などの使用例を毎週一点ずつ報告しています。今週はこの2通です。
左)赤 静岡 明治43.12.17=>静岡・新居 12.18
右)暗い赤紫 山城・京都 明治36.3.23=>越前・福井 3.23
この時代、最もよく使われた郵便は書状ですので、3銭書状料金はもっともありふれた使用例なのだそうです。ただ、それでも100円で入手できるとは限らないので、よかったです。
先日大人の収集家の方にこの二通を見て頂いた時に、赤3銭は左に、暗い赤紫3銭は右に、切手の印刷が寄っている事を指摘されました。精度の低い切手しか作れなかった明治時代にはこのような右や左に偏る切手=オフ・センターは多かったらしく、丁度真ん中になっている切手=ウェル・センターの切手の方が好まれるから、今後同じような書状を見たときにも、ウェル・センターだったら変える努力をするといいよ、と言われました。なるほど。そういうことも考えると、まだまだ僕の100円カバー探しの旅は続きそうです。
ところで、左の書状と右の書状で押されている消印の種類が違うことに気づきましたか?連載の第4回で紹介しましたが、菊切手の使用期間中には郵便局で使う日付印の形式が二度変更になり、それがよく表れています。単片の使用済みでももちろん分からないことはないのですが、このように書状となり、どこからどこに送られたとかが、会社や差出人個人の情報まで表記されると、よりイメージが沸いてきます。あと僕が思ったのは右の書状、京都から福井なのに、差し出しも到着も3月23日で明治時代って意外と鉄道がきちんと動いていてスピーディーに郵便物が運ばれていたんだナー、と思いました。